歴史と方向性
ドラッカー氏は、自分のことを「社会生態学者」と言っていたらしい。社会の観察者と言ったところの意味です。
そして、歴史も好きだったし、詳しかったようです。
わたしは歴史は過去のことなのであまり興味はないですが、人間の歴史を見ると、「方向性」があるということがわかります。
方向性がある
昔、学生時代に、「フェミニストかどうか」と人に質問をされたので、そうだと答えらたら質問した人に笑われたことがありますが、今、フェミニストかどうかという質問自体が愚問というか、そんなのは「当たり前」ぐらいに考え方としてはなっていると思います。(現実がそうなっているかはまた別として)
男女同権というか、差別はなくなる方向へと少しずつ進んでいる。
長い時間軸で見ると、方向性や流れがある。
時代が追いついてくる
わたしは、たいてい少数派で、あとから時代が追いついてくる感じがあります。
それは、自分の感覚や歴史観から、こうなるだろうというところに向けているからでしょう。
現実は大切ですが、現実だけ見ていると、現実が変わるものだということを忘れがちです。
時代の流れのなかで、いい仕事を
こういう意味での少数派であることに慣れてしまうと、他人の評価はあまり気にならなくなります。
2000年ぐらいから、方向性として、「個人」で働く時代になっていくのではないかと思っていました。
それは、企業に属しているかどうかという話ではなくて、個として、仕事ができるかどうか。他人と協力しつつ、仕事ができるか。
たぶん、これからさらにそういう人が活躍する時代になっていくのだろうと思います。
自分を活かしつつ、他人と協力して、時代の流れのなかで、いい仕事ができるようにしていきたい。そう思います。